手話を勉強し始めると必ず耳にするのが「日本手話」と「日本語対応手話」です
僕も手話について勉強し始めた時にこの二つの言葉に出会い、何が違うの?と思いました
この記事では日本手話と日本語対応手話について簡単にまとめます
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日本手話と日本語対応手話
辞書的に書くと次のようになります
【日本手話】
ナツメ社 DVDと動画でわかるはじめての手話 より
ろう者のコミュニティや独自の物価から生まれた手話
文法や表現方法が日本語とは異なる
ろう者の多くは日本手話を使用する傾向がある
【日本語対応手話】
ナツメ社 DVDと動画でわかるはじめての手話 より
日本語の順序どおりに手話単語を表現していく手話
中途失聴者や難聴者など日本語になじみのある人たちが使用する傾向がある
「て、に、を、は」といった助詞も表現します
具体的な違い
手話は言語として認められ、よく「目で見る言語」「視覚言語」等と表現されます
通常、ろう者は視角的に意思疎通することが多く、音声で意思疎通する通常の日本語(音声言語)とは違うところが多々あります
CL表現
分かりやすいのはCL表現だと思います
CLはclassifierの略で数別詞などと訳され、wikipdeiaでは「名詞の種類(具体的な対象の種類や形状など)に応じてそれを表すために用いられる語」と定義されています
文字だけだと「なんのこっちゃ」なので、「コップ」の手話を例に見てみます
「わたしたちの手話 学習辞典Ⅰ」では1-①のように描かれており、このコップは家庭でもよく利用される1-②のような形を模しています
ですが、「コップ」と言ってもいろいろな形があり、ワイングラス、ビールジョッキのようなコップもありますね
その場合は2-②、3-③のようにその形を模して「コップ」を表現します
1-① コップ
2-① コップ(ワイングラス)
3-① コップ(ビールジョッキ)
1-②
2-②
3-②
こうすることで、「ワインの時に使うコップ」「ビールの時に使うコップ」等の表現にせず、一連の動作でどのようなコップなのかを伝えられます
このように手で形をなぞって物の形を表す表現がCL表現の一部です
他にも、「歩く」の手話に動きをつけて、「フラフラ歩く」「坂を歩く」等の状況を表すこともCL表現の一つです
「フラフラ歩く」
「坂を(登って)歩く」
日本語対応手話の場合、「フラフラ」の部分を指文字で表現しなければいけません
日本手話は「歩く」の手話に動作を加えることで「フラフラ」に該当する言葉を省いても、どのような状態で歩いているのかが分かるようになっています
NMM表現
NMM表現も日本語対応手話にはない代表的な表現方法の一つです
Non Manual Marker(非手指標識)の略で、口型、眉の動きや視線、顎の動き、体の傾き等の、手以外の動きが文法的な役割を担う表現方法です
「山田さんはいますか?」というYes/No疑問文を例にします
日本手話の場合「山田/いる」の「いる」手話の時に(眉をあげ、顎を引く)動作を加えるとYes/No疑問文になります
日本語対応手話の場合は「山田/男/いる/か?」のように、「か?」を表す必要があります
日本手話の「好きですか?」
日本語対応手話の「好きですか?」
このように、口型、表情、体の動き等が文法的な役割を持つ表現が日本手話には多くあります
なぜ日本手話と日本語対応手話があるか
日本語対応手話が「全く分からない」訳ではないけど、日本手話の方がスムーズに通じる時が多いです
日本語対応手話を簡単に説明すると、日本語で話しながら、その日本語に合うように手話単語を並べると日本語対応手話になります
こんなことを僕も良くやってしまうのですが、そうやって手話と日本語で会話しているとろう者の方から「ん?それどういうこと?」というような顔をされることが多いです
なぜこのようなことが起きてしまうかというと、日本手話と日本語対応手話は根本が異なるからです
上述したCLやNMM等の違いはその表面をとらえただけに過ぎません
もっと言ってしまえば言語自体が違います
2006年12月、国連で採択された「障害者の権利に関する条約」(障害者権利条約)で、「手話は言語である」と定義されました
これは手話が音声言語と同じように「言語」として国際的に認知されたことを意味します
日本手話は耳が聞こえないろう者の文化の中で生まれた一方で、日本語対応手話は聴者が使う日本語がベースです
日本手話と日本語対応手話の間には「イギリスで生まれた英語と日本で生まれた日本語」くらいの違いがある訳です
ろう者の方からすれば母語は日本手話で日本語は第二言語になります
あるろう者の方とのLINEでの会話例
ろう者の方とLINEで会話をする時、たまに「少し日本語が変だな」と思う時があります
普段手話で話している時は違和感はないんですけどね
ちゃんと内容は分かるし、日本語で書かれているけど、なんか変な感じがする
外国の人が一生懸命日本語に訳して話してるけど、微妙に違うみたいな?
正しい日本語だと「今回は参加できずに残念です」のような文章が「今回は参加無理、残念」のように書かれているくらいの違和感です
日本手話を少し分かるようになると理解できるのですが、「今回は参加できずに残念です」を日本手話で表現すると「今回/参加/無理/(少し間をおいて)/残念」のようになるため、これをそのまま日本語に当てはめると「今回は参加無理、残念」という風になります
高齢のろう者の場合、もっとカタコトの日本語のような文章を書いている人を見かけるかもしれません
最後に 日本手話も日本語対応手話も「手話言語」で、両方必要
「日本手話はろう者の文化から生まれた言語なので、日本手話が正しくて、日本語対応手は邪道」みたいな風潮が一部あるように感じます
僕はその通りと思う部分もあるのですが、極論かなと思う部分があります
全日本ろうあ連盟のホームページにも日本手話と日本語対応手話についての見解が公開されており、どちらも手話言語であることを明記しています
【外部リンク】
全日本ろうあ連盟 手話言語に関する見解
話したい人が日本手話、日本語対応手話どちらを使うのか
ここからは「手話言語に関する見解」を踏まえた僕の考えになりますが、、、
生まれながらに聞こえず、周囲の人も聞こえない環境で、日本手話で育った人は母語が日本手話であり、自然と日本手話を覚えると思います
一方で、日本語を習得してから耳が聞こえなくなった中途失聴者は、日本語対応手話を使用することが多いと思います
もしくは、日本手話と日本語対応手話を混合して使用する人もいるでしょう
妻は生まれながらに耳が聞こえないですが、周囲の人が聴者なので日本語対応手話寄りの手話を使用しています
このように、日本手話を使う人も、日本語対応手話を使う人も、その手話を使用するに至った背景があり、日本語対応手話だからダメだと安易にいうべきではないと考えています
コミュニケーションを取るための手話言語なのですから、聴者が手話を学ぶ時、まずは話したい相手が使う手話言語を学べば良いと思います
相手が日本語対応手話を使う人であれば、こちらも日本語対応手話でも良いのです
でも、ろう者(生まれながらに聞こえない人)の多くが日本手話を使用しているし、理解されやすいので、ろう文化のことをもっと知りたいとか、母語が日本手話の方と話したいとなったら、日本手話を学ばなければいけないですね
それに、聴者が日本語対応手話に慣れてしまうと日本手話を習得するのは難しく、逆に日本手話から日本語対応手話は比較的容易に習得できると言われるので、特定の話したい人がいないということであれば、まず日本手話の習得を目指すのが無難とも思います
NHKの「みんなの手話」や「手話ニュース」は日本手話ですしね
あなたが話したい「聞こえない人」が使う手話は日本手話?日本語対応手話?
参考にした本
DVDと動画でわかるはじめての手話
ろう者と聴者の架け橋に 「手話通訳士」兼「日本語教師」の挑戦
日本手話と日本語対応手話(手指日本語) 間にある「深い谷」
文法が基礎からわかる 日本手話のしくみ
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